「経済再建が当面の最優先課題」
ピリディアトン副首相ら主要経済閣僚を入れ替え
ソムキット元副首相ほか多数の民間人が入閣

プラユット首相が暫政権を立ち上げてから約1年たった2015年8月、同首相は経済閣大幅に入れ替える大幅の内閣改造を行った。この1年間、いまだに全容がつかめない、外人がらみエラワン廟での爆発事件は別として、内政問題に起因する大きな騒動もなく、治安が維持され、警察機構の改革、政府上級公務員の汚職摘発(旧タクシン系政権当時から持ち越されていた疑惑も含め)、など実施した。政府が4月はじめ全国の戒厳令を廃止したにもかかわらず、首相が強権を発揮できたのは、戒厳令廃止と同時に暫定憲法第44条により首相に大権を与え、従来同様に軍政が続いているかである。

国立スワンドウシット師範大学は先にクーデタから1周年を迎えた時点(5月下旬)でNCPOの軍政の実績について全国1969人を対象に行った世論調査の結果を発表した。それによると「満足している」の質問に対して84.03%が「満足している」と答え、その理由として社会秩序や治安の回復、汚職取り締まりや行政の透明性の強化などを挙げている。これに対して「あまり満足していない」「不満」は15.97%でその理由が景気低迷、物価上昇、農産品の価格低下など経済問題となっている。今回、政府による内閣改造が経済閣僚を重点に行われた背景がわかる。だ

新しい経済閣僚チームの一番の特徴はリーダーがピリディアトン副首相(退任)から、タクシン政権で副首相、蔵相、商業相を歴任したソムキット副首相(新任)に交代したこと。両者はともに経済学者だが犬猿の仲。06年のクーデタ直後のスラユット暫定政権でチームリーダーの交代をめぐり結局、両者とも現職から身を引いた。ソムキット副首相がタクシン政権末期に同首相の不評を買い、商業相に左遷され、06年クーデタ直前に同派を離脱していること、しかも学者で政治家としての経験をプラユット首相が評価しているようだ。

当のソムキット副首相は輸出依存から、内需主導方針をあきらかにしている。このため特定の産業・製品を特化し、複数の経済特区の設置や鉄道整備事業など公共プロジェクトの円滑な執行を指摘している。

 

プラユット改造内閣名簿

 

◇首 相 陸軍大将  プラユット・チャン・オチャ(61)NCPO議長 前陸軍司令官、陸士23期生。
◇副首相 陸軍大将  プラウイット・ウオンスアン(70)NCPO副議長、陸士第17期生。元国防相(アビシット政権)、アヌポン元,プラユット、前陸軍司令官、ウドムチャイ前陸軍司令官ら「東部のトラ」派のリーダ格。
陸軍大将 タナサク・パティマプラコン(61)NCPO副議長、前国軍最高司令官、陸士第23期生。
ウィサヌ・クルアガム(64)タマサート、カルフォルニァ大卒、スチンダー政権で政府報道官、タクシン政権で副首相、法律専門家、2007年憲法起草。
(横滑り) 空軍大将 プラジン・チヤチャントーン(61)前運輸相。前空軍司令官、NCPO副議長、前運輸相。空士第20期生。
(横滑り) 海軍大将 ナロン・ピパタナサイ(61)前海軍司令官兼NCPO副議長。海士第20期生。
(新) ソムキット・チャトゥシーピタック(62)米ノースウエスタン経営学部大学院マーケッテイング博士号取得。2000年初期のタクシン政権で主要経済閣僚の 副首相、蔵相を歴任、 政権末期にタクシン首相に敬遠され、相。ンンチ クーデター直前にタクシン首相と離別。スラユット政権で主要閣僚就任をめぐって、 当時のピリデイアトンの反対で閣内入りを断念したいきさつがある。
◇首相府相 パナッダー・ディサクン(59)プリヤムヤング大卒、チェンマイ県知事を経て、同次官に就任。
スフパン・タンユワンタナ((61)国家情報局長。
◇農協相 (横滑り) 陸軍大将 チャチヤイ・サリカンヤ60)前商業相。元陸軍司令官補。陸士第23期生
◇商業相 (昇格) アピラディ・タントラポーン(58)シラキュース大卒、前副商業相
副商業祖 (新) スイット?メシンシ―. サシンシー経営大学院教授
◇文化相 ウイラ・ローポチャナラット(64)チュラ大卒、タマサート大(政治)卒、文化省副次官で退職。
◇国防相 (プラウイッと副首相の兼務)
副国防相 陸軍大将 ウドムデート・シータプット(60)前陸軍司令官、前NCPO事務局長、陸士第25期生。
◇教育相 (横滑り) 陸軍大将 ダーポン・ラタナスワン(61)前天然資源・環境相。元陸軍副司令官。
副教育相 陸軍中将 スラチェート・チャイウォン(59)前陸軍副参謀長、入閣前NCPO機??? 構の職務分担で社会・心理副責任者。
(新)テイラキアット・チン・チヤロンセンタシ。  教育相補佐官
◇エネルギー相 (新) 陸軍大将 アナンタポン・カンタナラット。(61) 陸軍司令部顧問官
◇財務相 (新) アピサック・タンティウォンラウォン(62) 元クルンタイ銀行頭取、タイ銀行協会長を歴任。
副財務相 ウイスット・シースパン(65)米ラマール大学工学部卒。
◇外 相 (昇格) ドーン・ポラマットウイナイ(64)チュラ、タフツ両大学卒,前副外相、駐国連大使など歴任。
◇工業相 (新) アチャカー・シーブンルアン。前工業次官
◇情報通信技術相 (新) ウッタマ・サワナョン。 バンコク大学学長
◇内 相 陸軍大将 アヌポン・パオチンダ(66)NCPO顧問副団長、前陸軍司令官。プラウィト副首相・元陸軍司令官―プラユット首相・前陸軍司とともに同じグループ。
副内相 スティ・マークブン(65)チュラ大卒、内務省官僚として、各県知事を経て、同省次官で退任。
◇法 相 陸軍大将 パイブン・クムチヤー(60)国軍司令部副司令官、陸士第26期生、NCPOでは担当が法務、検察庁、資金洗浄事務局。陸軍司令官補から10月1日付で国軍最高司令部入り。
◇労 相 (新) 陸軍大将 シリチャイ・ディタクン。(60 前国防次官。
◇天然資源・環境相 (横滑り) 陸軍大将 スラサック・カンチャナラット(61)前労総。 前国防次官。陸士第23期生で陸軍副参謀長からクーデタ直前に国防次官に就任。
◇保健相 (新) ピャサコン・サコンサタヤコン。 元マヒドン大学学長
◇科学技術相 ピチェート ドウロンカウェーロート(60)科学技術省国家技術イノべイション
◇社会・人間開発相 警察大将  アドゥイン センシンケオ(61)警察士官学校卒、クーデタ直後に警察庁長官を解任されたが、その後NCPO入り。
◇観光・スポーツ相 コブカーン ワタナワランクーン(55)東芝タイ前社長。米国建築学を学ぶ、泰日教会会長。
◇運輸相 (昇格) アーコム・トウ―ピタャーパイシット(58)タマサート大卒、前副運輸相。エコノミストでNEDSB事務局長を歴任。
副運輸相 (新) オムシン・シワプルク。 タイ国鉄取締役会議長。

 

(注) 1) 今次内閣改造で閣外にでたのは11閣僚。
ピリデイアトン、ヨンユっと両副首相、ピディポン農協相、アムヌアイ副農協相、ソンマイ蔵相、クリサナポン副教育相、ナロンチャイ エネルギ-相、チヤカラモン工業相、ポンチャイ情報・通信技術相、ラチヤタ保健相、ソムサク副保健相。
2) 留任13人のなかにはプラウイット副首相兼国防相、タナサク副首相、アヌポン内相、パイブン法相、ウドムデート副国防相(前陸軍司令官)など重要人物が含まれている。
3) 横滑り8人、昇格3人。

 

「2006年クーデタ後の」2の舞いを警戒
=戒厳令は今後も続行の公算大=
=プラユット暫定政権閣僚の横顔=

 

06年5.22クーデタ後、陸軍司令官プラユット陸軍司令官は直ちに国家平和秩序維持団(NCPO)議長として全権を握り、9月4日、32名の閣僚からなる第1次プラユッと暫定内閣を立ち上げた。後ほど財務と農協の副大臣2人増えたが全閣僚34人のうち、3分の1が当然のことながら軍人が12人(うち現役8人)、警察1人。しかし1カ月後の10月1日付の定期軍事異動で首相プラユット陸軍司令官はじめ、外相タナサク国軍司令官、運輸相プラジン空軍司令官、教育相ナロン海軍司令官、労相スラサック国防次官、副教育相スラチェート陸軍副参謀長の6人は退役。現役将官は副国防相としてのウドムデ―ト陸軍司令官、法相パイブン国軍副司令官の2人となった。閣僚の中で特に目立った動きをみせているのは首相とピリデイアトン副首相、ソンマイ財務相、フラジン運輸相。大臣が軍人出身の場合副相に行政経験豊かな官僚出身者をつけるなど配慮している。また、スラユット暫定政権時代の閣僚 人、タクシン政権で法制にくわしく、官房長官。副首相をつとめ、クーデタ直前にタクシン政権お離反したウイサヌ氏を副首相に起用している。

 

[2006年クーデタを教訓に]

プラユット暫定政権は発足以6ヵ月過ぎた時点で、8年前の2006年9月ソンティ クーデタ当時のスラユット暫定政権との違いがはっきりでていた。一番目立った違いは今回はクーデタ前日の5月21日に戒厳令を全国に施行し、そのごも続いていることだ。先の2006年では9月19日のクーデタ後わずか約2か月過ぎた11月28日にはバンコクでの戒厳令を解除している。このため政治情勢は年末のお晦日にバンコクで連続爆弾事件がおきた。その翌年2月から3月にかけて親タクシン系の政治家による反クーデタ体制打破の集会が始まり、7月には反政府デモと警察との衝突事件に発展した。2010年5月の親タクシン派の赤シャツ集団と政府、軍部と大衝突。一方、2013年から2014年にかけて反タクシン派による政府関係庁舎に対する封鎖デモ。そして、2014年プラユット陸軍大将によるクーデタが発生した。2006年クーデタの集体制ともいえる新憲法(2007年憲法)の国民投票の結果も全国的には賛成が56.7%と過半数をこえたが、地方ブロック別では東北部では反対61.9%と、賛成の36.3%を大きく上回り、北部も賛成が51.6と反対(46.1%)をかろうじて抑えこんだ。プラユット軍政側にとってこういった苦々しい経験を避けたかったようだ。クーデタ当日、プラユット陸軍大将は政、官界有力者や親タクシン、反タクシン両派指導者ら多数集めた会議の場でクーデタを宣言、同時に身柄を拘束。さらに布告でもって在野の政治家やデモ指導者など170以上人を呼び出し、政治活動や出国禁止を通告している。また暫定憲法の条文に新憲法に国民投票を明記しなかったのも「2007年憲法」の二の舞を避けたかったのではないか。

ところで、クーデタから半年の間、厳しい軍政下で財政や行政、治安面で改善されてきた。その主なものを上げると、前政権による農家から実質的なモミ米買い上げ政策による580億バーツの財政赤字対策、遺産税の創設。警察長官を選出する警察委員会の改組、警察庁首脳部の央捜査局司令官(陸軍中将)、同副司令官がらみの大型汚職スキャンダル摘発など。プラユット暫定政権にとってこれからの1年間は憲法起草委員会(CDC)による草案作成、が正念場となりそう。

 

「プラユット暫定政権閣僚の顔ぶれ(2014・9)」

 

◇首 相 陸軍大将  プラユット・チャン・オ(60) 軍政の絶対権限をもつ国家平和秩序評議会(NCPO)議長 前陸軍司令官、陸士23期生。
◇副首相 陸軍大将  プラウイット・ウオンスアン(69)NCPO副議長、陸士第17期生。元国防相(アビシット政権)、アヌポン元,プラユット、前陸軍司令官、ウドムチャイ現陸軍司令官ら「東部のトラ」派のリーダ格。
MR. プリディアトン・ティワクン(67)ペンシルバニャ大卒、前NCPO顧問副団長、元財務相(2006年10月のスラユット暫定内閣で財務相に就任したが、首相に対する不信感から在任6カ月で辞任)。輸出入銀行並びに中央銀行総裁を歴任。
ヨンユット・ユタオン(70)マヒドン大,オックスホ―ド大卒、スラユット暫定政権で科学技術相に就任。
陸軍大将 タナサク・パティマプラコン(60)NCPO副議長、前国軍最高司令官、陸士第223期生。
ウィサヌ・クルアガム(63)タマサート、カルフォルニァ大卒、スチンダー政権で政府報道官、タクシン政権で副首相、法律専門家、2007年憲法、現行暫定憲法起草。
◇首相府相 パナッダー・ディサクン(58)プリヤムヤング大卒、チェンマイ県知事を経て、同次官に就任。
スフパン・タンユワンタナ((60)国家情報局長。
◇農協相 ピティポン・ブンブンナアユタヤ(67)カルフォルニャ州立ダ卒、NESDBから農業次官天然資源・環境次官を歴任。
副農協相 アムヌアイ。パティセー(66)タマサート大学経済学修士。
1994年民主党チュアン政権の副財務相
◇商業相 陸軍大将 チャチヤイ・サリカンヤ(59)前陸軍司令官補。陸士第23期生
副商業祖 アピラディ・タントラポーン(58)シラキュース大卒、商業省官僚で国際通商交渉局長など歴任。
◇文化相 ウイラ・ローポチャナラット(63)チュラ大卒、タマサート大((政治)卒、文化省副次官で退職。
◇国防相 (プラウイッと副首相の兼務)
副国防相 陸軍大将 ウドムデート・シータプット(59)陸軍司令官、 NCPO事務局長、 NCPO事務局長、陸士第25期生。
◇教育相 海軍大将 ナロン・ピパタナサイ(60)NCPO副議前海軍司令官、海士第20期生。
副教育相 クリサナポン・キラティコ-ン(67)グラスゴ大卒、キングモンキット工科大トンブリ校学長、高等教育委員会事務局長。
陸軍中将 スラチェート・チャイウォン(59)前陸軍副参謀長、入閣前NCPO機構の職務分担で社会・心理副責任者。
◇エネルギー相 ナロンチャイ・アカラセラニー(69)ジョンホプキンス大卒、金融会社の旧GFファイナンス創始者。チヤワリット政権の商業相に就任。
◇財務相 ソムマイ・パーシー(70)タマサーと、米ワンタービルド大卒、スラユっと暫定政権で財務副大臣に就任。
副財務相 ウイスット・シースパン(64)米ラマール大学工学部卒。ピリデイアトン副首相の元顧問。
◇外 相 (タナサック副首相の兼任)
副外相 ドーン・ポラマットウイナイ(64)チュラ、タフツ両大学卒,駐国連大使など歴任。
◇工業相 チャクラモン・パースクワニット(66)カリフォルニャ大卒、BOI,NESDB両事務局を歴任。長、工業次官を歴任。
◇情報通信技術相 ポーンチャイ・ルジプラパー(61)ペンシルバダ大卒、発電公社理事長、元工業次官。
◇内 相 陸軍大将 アヌポン・パオチンダ(65)NCPO顧問副団長、前陸軍司令官。プラウィト副首相・元陸軍司令官―プラユット首相・前陸軍司とともに同じグループ。
副内相 スティ・マークブン(64)チュラ大卒、NIDAを修め内務省官僚として、各県知事を経て、同省次官で退任。
◇法 相 陸軍大将 パイブン・クムチヤー(59)国軍司令部副司令官、陸士第26期生、NCPOでは担当が法務、検察庁、資金洗浄事務局。陸軍司令官補から10月1日付で国軍最高司令部入り。
◇労 相 陸軍太将  スラサック・カンチャナット(60)前国防次官、陸士第23期生、陸軍副参謀長から国防副次官、クーデタ直後に同次官に。
◇天然資源・環境相 陸軍大将  ダーポン・ラタナスワン(60)NCPO顧問(安全保障)、元陸軍副司令官。
◇保健相 ラチャタ・ラチャタナウイン(64)マヒドン大学から保健相に就任したが、大学側の要請を受け入れ学長を辞任。
◇科学技術相 ピチェート ドウロンカウェーロート(59)科学技術省国家技術?イノべイション。
◇社会・人間開発相 警察大将  アドゥイン?センシンケオ(60)警察士官学校O副議長、クーデタ直後に警察庁長官を解任されたが、その後NCPO入り。
◇観光・スポーツ相 コブカーン ワタナワランクーン(54)東芝タイ前社長。米国建築学を学ぶ、泰日教会会長。
◇運輸相 空軍大将  プラジン・チャントーン(60)NCPO副議長、前空軍司令官。空士第20期生。
同副運輸相 アーコム・トウ―ピタャーパイシット(58)タマサート大卒、エコノミストでNEDSB事務局長。
◇農協相 ピティポン・ブンブンナアユタヤ(67)カルフォルニャ州立ダ卒、NESDBから農業次官天然資源・環境次官を歴任。
副農協相 アムヌアイ。パティセー(66)タマサート大学経済学修士。
1994年民主党チュアン政権の副財務相
◇商業相 陸軍大将 チャチヤイ・サリカンヤ(59)前陸軍司令官補。陸士第23期生
副商業祖 アピラディ・タントラポーン(58)シラキュース大卒、商業省官僚で国際通商交渉局長など歴任。
◇文化相 ウイラ・ローポチャナラット(63)チュラ大卒、タマサート大((政治)卒、文化省副次官で退職。
◇国防相 (プラウイッと副首相の兼務)
副国防相 陸軍大将 ウドムデート・シータプット(59)陸軍司令官、 NCPO事務局長、 NCPO事務局長、陸士第25期生。
◇教育相 海軍大将 ナロン・ピパタナサイ(60)NCPO副議前海軍司令官、海士第20期生。
副教育相 クリサナポン・キラティコ-ン(67)グラスゴ大卒、キングモンキット工科大トンブリ校学長、高等教育委員会事務局長。
陸軍中将 スラチェート・チャイウォン(59)前陸軍副参謀長、入閣前NCPO機構の職務分担で社会・心理副責任者。
◇エネルギー相 ナロンチャイ・アカラセラニー(69)ジョンホプキンス大卒、金融会社の旧GFファイナンス創始者。チヤワリット政権の商業相に就任。
◇財務相 ソムマイ・パーシー(70)タマサーと、米ワンタービルド大卒、スラユっと暫定政権で財務副大臣に就任。
副財務相 ウイスット・シースパン(64)米ラマール大学工学部卒。ピリデイアトン副首相の元顧問。
◇外 相 (タナサック副首相の兼任)
副外相 ドーン・ポラマットウイナイ(64)チュラ、タフツ両大学卒,駐国連大使など歴任。
◇工業相 チャクラモン・パースクワニット(66)カリフォルニャ大卒、BOI,NESDB両事務局を歴任。
長、工業次官を歴任。
◇情報通信技術相 ポーンチャイ・ルジプラパー(61)ペンシルバダ大卒、発電公社理事長、元工業次官。
◇内 相 陸軍大将 アヌポン・パオチンダ(65)NCPO顧問副団長、前陸軍司令官。プラウィト副首相・元陸軍司令官―プラユット首相・前陸軍司とともに同じグループ。
副内相 スティ・マークブン(64)チュラ大卒、NIDAを修め内務省官僚として、各県知事を経て、同省次官で退任。
◇法 相 陸軍大将 パイブン・クムチヤー(59)国軍司令部副司令官、陸士第26期生、NCPOでは担当が法務、検察庁、資金洗浄事務局。陸軍司令官補から10月1日付で国軍最高司令部入り。
◇労 相 陸軍太将  スラサック・カンチャナット(60)前国防次官、陸士第23期生、陸軍副参謀長から国防副次官、クーデタ直後に同次官に。
◇天然資源・環境相 陸軍大将  ダーポン・ラタナスワン(60)NCPO顧問(安全保障)、元陸軍副司令官。
◇保健相 ラチャタ・ラチャタナウイン(64)マヒドン大学から保健相に就任したが、大学側の要請を受け入れ学長を辞任。
◇科学技術相 ピチェート ドウロンカウェーロート(59)科学技術省国家技術?イノべイション。
◇社会・人間開発相 警察大将  アドゥイン センシンケオ(60)警察士官学校O副議長、クーデタ直後に警察庁長官を解任されたが、その後NCPO入り。
◇観光・スポーツ相 コブカーン ワタナワランクーン(54)東芝タイ前社長。米国建築学を学ぶ、泰日教会会長。
◇運輸相 空軍大将  プラジン・チャントーン(60)NCPO副議長、前空軍司令官。空士第20期生。
同副運輸相 アーコム・トウ―ピタャーパイシット(58)タマサート大卒、エコノミストでNEDSB事務局長。

 
 

インラック首相、辞任を拒否、一蹴して国会解散
民主党、反タクシン派の抗議行動拡大
2月2日の総選挙見通しに不確定要素

2013年の政治、経済、社会情勢はいろいろな出来事が次々と起きた。年初早々、人々の関心を集めたのはタイの観光地パタヤのチョンブリ県でゴッドファーザとして知られているソムチャイ・クンプルーム(通称・カムナンポ)が1月30日、バンコクで逮捕された。カムナンポは殺人罪にからんで最高裁で禁固25年の判決を受けたが逃亡生活7年で逮捕された。またタイ石油会社の子会社のPTTグローバル ケミカル社によるラヨン沖での原油流出事件など。治安関係では南部分離運動のテロ組織による相次ぐ殺人事件など。しかし、何といっても11月から始まった最大野党民主党、反タクシン集団がバンコク首都圏で始まったインラック政権打倒集会で、年明け早々に向けて拡大する様相を見せている。

  1. ロングランで拡大傾向のバンコクの大規模反政府デモ・・政府、与党による下院議会での「恩赦法案」の強行採決を契機に最大野党の民主党、反タクシン集団の「人民民主改革委員会」(PDRC)による抗議行動が拡大、ひところ数十万人を動員してバンコクの主要交差点の封鎖や政府官庁地区に波状攻撃をつづけた。PDRCの主導者はこのデモ行動のために民主党幹事長、下院議員も辞任したステープ・トウアクスパン元副首相(アピシット政権時代)。これまで反タクシデモ集会は2010年に首相官邸を封鎖、ソムチャイ政権が官邸に入れず、わずか四十数日で倒れた。今回は恩赦法案が廃案となったが、政権からタクシン色を一掃するため、反タクシン派によるインラック政権打倒の動きは激しさを増している。
  2. インラック首相、突如、下院議会を解散し反転攻勢に(12月9日)・・ステープ氏らの 反政 府集団が最終決戦と叫びインラック首相辞任要求を強めている。また最大野党の民主党も前議員が辞職戦術に出たため、インラック首相はこれまでの戦術を転換、反対攻勢に出るため、下院議会を解散、翌年2月2日 選挙を発表した。しかし、デモ隊側はタクシン政権が発足した2001年以降の選挙情勢を振り返り、タクシン体制は不変とみて。首相の即時退陣を要求している。ところで、12月27日現在、比例玲代表候補者届け出た政党は53。野党の最大政党民主党はボイコット。小選挙区の立候補届け出の締め切りは1月1日だが、今までに受け付けた選挙区は全国で1272人。しかし、南部8県、28選挙区ではデモ隊による封鎖行動で受付はゼロ。また21選挙区では各選挙区の立候補者1人。こうした情勢から、選管は2月2日選挙後の下院議会成立はむつかしいとして、選挙延期検討中だが、政府はあくまで第2次インラック政権をめざし。総選挙に固執している。
  3. 野党第一党の民主党は総選挙をボイコット(12月21日)・・野党第一党の民主党は反政府デモ集団の大抗議行動に歩調をあわせ?月21日の執行委員会でインラック政権下での総選挙は意味がないとして、全面的にボイコットをきめた。理由は小選挙の定員375議席のうちタクシン派の地盤の北部の定員が67、東北部126で、両ブロックを合せた定員(193)だけですでに全体の過半数をしめている。しかも選挙では99%タクシン派が独占、さらに何時の選挙でも政権政党を目標に置くタクシン寄りの少数勢力の政党を含めると、選挙後も選挙前の政界地図と変わりがないからである。
  4. 憲法裁判所が政府、与党による「憲法改正問題」で相次ぎ違憲判決。・・憲法裁は7月12日、政府与党提案の「憲法の全面改正案」は国民投票が必要だとして国会審議中止を命令。条項ごとの改正を指示。その後,憲法裁は9月20日、上、下両院で議決された「上院議員選挙に関する憲法条項改正条項」も憲法違反と決。
  5. 上院議会は下院で議決された与党提案の恩赦法案を否決、廃案に。(11月11日)・・与党タイ貢献党の議員が「政治対立を解消し、国民和解を実現するため」として、下院に提案、強行採決され、上院に回付された。しかし、反タクシン派集団並びに多くの有識者から「海外逃亡中のタクシン元首相を対象としたもの」との反対論が高まり、上院本会議は否決し?た。
  6. バンコク知事選挙に現職の民主党のスクムパン・ポリパット候補が当選(3月3日)・・第6回知事選挙は現職のスクムパン候補がこれまでの最高の125万6349票を獲得して、2期連続の当選を果たした。次点は政府与党のタイ貢献党のポンサパット・ポンチャルン(前警察副長官)107万7899票。この選挙では事前のほとんどの世論調査がポンサパット貢献党候補の勝利を伝えていた。このため、世論調査の問題点を提起した。選挙後、ポンサパット候補は警察副長官に復職した。
  7. タイ、カンポジア国境領有権で国際司法裁判所が判決(11月11日)・・国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)は11月11日、タイ東部のカンボジアと接する世界遺産「プレアビヒア寺院遺跡」周辺のごく限られた地域をカンボジア領とする判決を言い渡した。これによりこんご両国政府は国境の線引き交渉を行うことになる
  8. プラ・ヤンナサンウオン大僧正がご逝去、享年100歳(10月24日)・・憲法には国王は仏教徒で、仏教の擁護者と規定されており、仏教はタイ国民の日常生活のよりどころとなっている。その仏教の最高位のプラ・ヤンナサンウオン大僧正が敗血症のため病院で逝去された。
  9. IMFがタイ政府の財政に圧迫要因となっている「モミ米担保融資制度」の廃止を勧告(11月)・・国際通貨基金(IMF)は11月まとめたタイ経済に関する年次報告で同国政府が続けているモミ米担保融資制度を廃止すべきだと指摘している。この制度はインラック政権の選挙公約。アリポーン財務次官が10月21日、任期を1年残して財公務員発展委員会事務局長に移動させられたが、次官任期中に署名したモミ米担保融資制度の決算書に署名した。それによると、年平均2000億バーツの損失を出しているといわれる。この制度は優良米の場合、当初の2012年1、2作について実勢価格を大きく上回るトン当たり1万500バーツで政府が買上げていたが、輸出不振で損失が拡大。中央銀行総裁経験者や有識者から同制度廃止の声が強かった。
  10. 最低賃金全国一律300バーツを実施(1月1日)・・インラック政権の選挙公約のひとつ。政府はすでにバンコク首都圏並びに同周辺5県とプーケット県では2012年4月から先行実施していたもの。これが全国的に適用されたが、旧賃金ベースに対し約40%の引き上げられたため、経済界特に中小企業などが反対していた。

(次点) タイ中央銀行は政策金利を2.5%から2.25%に引き下げ(11月27日)、対米ドルバーツ価は4年ぶりバーツ安の32・76バーツ(12月26日)。

(注・*印はタイ愛国党の選挙違反にたいする憲法裁の判決
2006年6月)で5年間政治活動禁止対象者が2012年5月
で期限切れで、インラック第2次改造以降の入閣者)

◇首 相兼国防相 インラック・シナワット(45)(タイ貢献党議員・比例代表1位)、チェンマイ大学政治・行政学部卒、米ケンタッキ州立大学経営学修士課程。タクシン元首相の7人目の末妹。タクシン氏が創業の携帯電話最大手のAIS,シナワット財閥の不動産会社SCアセット社社長。政治経験はなし。

◇副首相兼外相 スラポン・トーウィチャクチャイクン(58)(タイ貢献党議員)英国の大学で博士号まで取得。出身は北部チェンマイ。政界入りは民主党。タクシン元首相と親せき関係でタイ愛国党創立とともに同党に 鞍替え。外交畑の経験はない。かつて、タクシン氏の顧問弁護士のノパドン・パタナ前外相と同様に、海外逃亡中のタクシン氏をに昨年暮れタイ旅券を発行。

同 (横滑り) プラチャ・プロムノーク(70)(タイ貢献党議員)法相からの横滑り。元警察庁長間。労相経験者

同兼農協相(横滑り)ユコン・リムレムトン(63)(タイ国民発展党)カセサート大学獣医学部卒。農協省に入省、同省次官で定年退職。国民発展党の実質的な党首のバンハーン氏と近く、健康問題で辞任したティラ前農 協相の後任として入閣。

同兼財務相 キティラット・ナラノン(53)(タイ貢献党枠の非議員。                                 チナワット大学学長。チュラロンコン大学経済学部卒、サシン大学 修士課程。数社の証券会社役員を歴任。タクシン元首相がシン・コーポレ―ションの持ち株をシンガポール政府系の持ち株会社に売却し売却した当時の証券取引者理事

副首相兼 ブロードプラソップ・スラサワディ(70)(タイ貢献党副党首議員)前科学 学術相。農協省水産局長、天然資源・環境省次官経験者。

同 * ポンテープ・テープカンチャナ(56)(タイ貢献党議員)裁判官出身。95年に道義党をへてタイ愛国党に移籍。タクシン政権で首相府相、法相、エネルギー相を歴任。タクシン首相の私設秘書を務めた。

同兼商業相(横滑り)ニワッタムロン・ブンソンパィサン(65)(タイ貢献党)タクシン政 権が買収したテレビiTVの経営者。北部カンペンペット出身。比例議員を辞任、理由は下位候補者を当選させる。

◇首相府相  (横滑り)サンティ・プロムパット(65)(タイ貢献党議員)大手不動産業者、チャワリット新希望党に政界入り、タイ愛国党に合流し、同政権下で運輸省に就任

同 * ワラテープ・ラタナコン(49)タクシン政権でオンライン宝くじ問題で移行猶予付きの禁固刑2年刑を受けた。タクシンの実妹ワラテープ派。

◇国防相 (インラック首相が兼務)

副国防相 (再任) ユタサク・サシプラパー(76)陸士出身、陸軍大将。国防次官で停年退役。現役中から主要政党幹部と知己の関係。退役後タイ愛国党に入党。タクシン政権の2001年1月に国防相に就任。党の顧問を務める。インラック政権で国防相ついで就任、20012年副首相に10月の改造で閣外に。

◇財務相 (キチラット副首相が兼務)

副財務相 タヌサック・レクウタイ(55)ラムカムヘン大学法学部卒、シーパトム大学政治学修士課程修了。元北部ウッタラディト県議員。

◇外 相 (スラポン副首相が兼務)

◇観光 スポーツ相 (新任) ソムサク・プリーシサック(60) 内務省官僚。タイ国民発展党の実質的な指導者バンハーン氏の地盤、同氏の強い要請でスパンブリ県知事から、急逝したチュンポン。シラパチャ観光・スポーツ相(バンハーン氏の実弟)の後任に就任。同省はタイ国民発展党のポスト。

◇社会・人間開発相 (新任)*  パウィナー・ホンサクン(63)88年に故サマック党首時代タイ人民党からバンコクの下院議員に初当選。バンコク知事選に2回出馬したが落選。所属政党は国家発展党かたタイ愛国党に移籍。女性や青少年問題に取り組みそれなりの評価を得ている。

◇農協相 (ユコン副首相が兼務)
副農協相 シリワット・カチョンプラサート(39)(タイ国民発展党・議員)前副商業相。米国の大学卒。タイ国民発展党最高顧問でアピッシト政権で副首相を務めたサナン・カチョンプラサート氏の息子・

同 (ワラテープ首相府相が兼務)

◇運輸相 チャチャート・シッティパン(47)チュラロンコン大学工学卒米国の大学で工学部修士課程を経て博士号取得。運輸省所管の公営企業役員経験者。元副運輸相。

副運輸相 パルン・スワンナタット(61)(タイ貢献党)退役陸軍大将。タクシン元首相と士官予備校同期の10期生。今回の改造で閣外に出たスカンポン国防相とは従兄弟。タクシン政権末期に第1師団長にばってきされ、当時の野党民主党の反タクシン運動にィ実力で阻止発言など親タクシンの強硬派。

同 (新任) ポーン・シーワーナン(66)(タイ貢献党議員)チュラロンコン大学卒。米ミズリー大学で修士課程を修了。これまでに運輸、工業両相の顧問を歴任。

◇天然資源・資源相(新任)*ウィチェート・カセムトンシー(50)タクシン政権下で副運輸相に就任。2012年5月で政治活動禁止判決(憲法裁)が解かれたので、タイ国研等に入党。今回の入閣前までタイ石油会社取締役会長に就任。

◇情報通信技術相 アヌディット・ナーコンタブ(47)(タイ貢献党議員)バンコク出身。航空工学を専攻。

◇エネルギー相 * ポンサック・ラタポンパイサン(63)チュラロンコン大学卒。タクシン元首相の右腕のブンクリー氏と同窓生。シナワット企業のAIS、シン・コーポレーション社長をれきにん、昨年タイコム野最高経営責任者野ポストを辞任。

◇商業相 (ニワッタムロン副首相が兼務)

副商業相 ナタウット・サイクア(37)(タイ貢献党比例議員)、前副農協相。国立行政大学卒、総選挙で出身地の南部のナコンシタマラートから国家発展党から出馬、落選。その後同党はタイ愛国党に合流。06年クーデター後hは反独裁民主統一戦線(UDD)を結成、幹部の一ンとして10年の反政府デモを指導、解散後テロ容疑で逮捕され、保釈中。ソムチャイ政権では政府報道官に就任。

◇内 相 チャルンポン・ルアンスアン(66)(タイ貢献党党首、比例議員)前幹事長、前副首相 タマサーチ大学卒、チュラロン大学政治学部修士課程修了。その後法務、労働次官を経て政界入り。

副内相 プラチャ・プラソプデイ(53)(タイ貢献党議員)警察大将。元警察庁長官。元労働相

同 (新任)* ウィサーン・テーチャテイラワット(56)北部チェンライ県有力者の一人政界入りは。 1986年。憲法裁による政治活動禁止期間中(2012年5月解除)娘が下院議員に代理出馬。

◇法 相 (新任) チャイカセム・ニティシリ(64)チュラロンコン大学法学部卒、ついで米コロンビア大学修士課程修了。2009年9月最高検察庁長官を定年退職。タクシン政権下で起きたスwナプーム空港爆発物検知機器をめぐるおしょおく偽惑に不起訴の決定。

◇労相 (横滑り)チャルーム・ユーバンルン(67)(タイ貢献党議員会会長)ラムカムヘン大学卒、博士号取得。警察官僚出身。政界入りは民主党、その後離党して大衆党を立ち上げ党首に就任。チャチャイ政権で首相府相として初入閣。マスコミ公社担当。通信衛星問題でタクシン氏と関係。1990年、スチンダークデタで海外に逃避。 民政移管後バンハーン政権で法相。97年に大衆党を解散。味方につければ頼りになるが、敵に回れば手強い存在。 党内に反対者が多いがインラック政権では副首相として、時には首相の代弁者として立ち回っていたが、今回の改造では前触れなしで副首相のポストを外された。

◇文化相 * ソンタヤ・クンプルーム(49)(チョンブリ県の地域政党プランチョン党党首。これまで政治活動禁止の身分の為、妻のスクモン女史が身代り入閣していた。1097寝年に政界入り。道義、国家発展、タイ国民をへてタイ愛国党に移籍。これまでに科学技術、韓国・スポーツ省を歴任

◇科学技術相 (新任)ピラパン・パルスック(67)(タイ貢献党議員)北部ヤーソントン県出身。パリ大学で博士号を主塔。ラムカムヘン大学法学部講師。政界入りは1083年で党の法務を担当。初の入閣。

◇教育相 (新任)*チャツロン・チャイセン(57)チェンマイ大学在学中に1976年10月の学生騒の指導者の1人として参加。事態収拾後に渡米留学し、修士課程習得。1986年に民主党からチャチンサオ県の下院選挙に初当選。国家発展党をへてタイ愛国党に鞍替え。閣僚経験は副首相、副財務相,教育相、首相府相など歴任。憲法裁の111人に対する政治家活動禁止(2012年5月)解除直後のタイ愛国党代理などタクシン系内閣で重きをなしているが、今回インラック内閣で初入閣。

副教育相 スームサック・ポンパーニッチ(67)(タイ貢献党)タマサート大学政冶学部卒。内務省に入省、地方県知事をへて内務次官で退官政界入りして、タクシン政権で副内相に就任。

◇保健相 プラデイット・シンタワナロン(53)シリラート病院医学部に次いでマヒドン大学と米ハーバート大学で公衆衛生学を専攻。その後実業界に転身。政府の国家健康保険委員会委員にも就任。

同 (新任)ソラウォン・ティアントン(37)サケオ県の有力政治家サノ・ティアントン氏の長男。今回の改造で甥のタニット工業相が閣外に出たため、そのあとにソラウオン氏が入閣。

◇工業相 プラスート・ブンチャイスック(57)(国家開発発展党議員)ラムカムヘン大学頬学部卒。NIDAで政治学を学ぶ。東北部のナコンラチャシマ出身。同党の事実上の党首と見られる、スワット氏の側近と言われる。

チャルーム副首相降格、籾米政策で商業相更迭
ユタサック氏を副国防相に再任、タクシン采配か
2年間に大幅改造3回、33人が閣外に

インラック首相は6月30日、内閣の大幅改造を行い、同日、国王に宣誓を終え新内閣は正式にスタートした。改造規模は13閣僚が閣外に去り、新入閣11、再任、留任、横滑り合わせて23人と言う大幅なもの。特に今回の改造の特色は ①女性首相が国防相を兼務 ②チャルーム第1副首相が平閣僚に降格 ③インラック内閣で国防相、副首相を歴任したユタサク陸軍大将(退役)が副国防相に帰り咲き ④外相兼務のスラポン副首相を筆頭副首相に据えた、ことなどである。インラック首相は「適材適所」と語っているが、顔ぶれをみると必ずしもそうでもなさそうである。

【報恩、タクシン、インラックの係累重視】

インラック政権の内閣改造は同政権がスタートした2011年8月以降約2年の間に2012年1月、同年10月、2013年4月それに今回の4回行われている。このうち2013年4月改造は死去したチュンポン副首相兼観光・スポーツ相の後任など小幅な改造。したがって第1,2次、今回の第4次改造で閣外には合わせて33人、新入閣、再任が37人に及んでいる。こういった閣僚の大幅入れ替えはこれまでにもタクシン系政権ではよくみられ、半年ごとというケースもあった。こういった状況についてマスコミ関係者は過去におけるタクシン元首相や党への功労者に報いるための名誉職と見るケースが多いとしている。さらにタクシン元首相の実妹ヤオワパ派に繋がる人物。またタイ貢献党の地盤の北部、東北部関係者が閣僚となるケースが多いのは当然のこと。

【チャルーム労相、新内閣発足の記念写真を欠席】

今回の改造で特に注目されたのはこれまで第一副首相として国会などでインラック首相の代弁を買って出たチャルーム副首相が同ポストからはずれ労相に降格されたことだ。事前通告もなかったようで、チャルーム前副首相によると、スラナン首相秘書ら首相を取り巻く若手官僚や南部の治安問題担当責任者あたりからの中傷によるものとみている。チャルーム新労相は組閣後の新閣僚記念写真や、初閣議にも病院通いを理由に欠席している。チャルーム氏独特の日頃の言動に対して党内には反対者も多い。最近、南部治安問題の責任者に任命 されたが、ほとんど現地入りしなかったことなど治安担当の副首相ポストから外されたとみる向きが多い。

【ユタサック副国防相再任の背景】

陸士出身の陸軍大将。穏健派で退役前から主要政党幹部との親交を深めていたが、退役後、タクシン氏が創立したタイ愛国党に入党。2001年1月の第1次タクシン内閣では副国防相に就任。党顧問。インラック政権では国防相、副首相を歴任、第2次改造で閣外に出たが、今回の改造ではインラック首相の国防相兼務にあわせ副国防相に帰り咲いた。ところで改造1週間前に香港で海外逃亡中のタクシン元首相とユタサク氏との会談の模様を録音した音声クリップが動画投稿サイト、ユーチユーブに投稿されタイ政界に大きな波紋を広げている。その内容が元首相の帰国に絡まる恩赦問題などが話し合われたことが今回の改造に反映しているようだ。これまで政府、与党はチャルーム前副首相のリーダーシップで国会での恩赦法成立を目指したがこの見通しが立たないため、軍部に通じるユタサック副国防相の登場となったと見られる。

【タクシン・インラック・スラポンは1本の線】

スラポン外相(北部チェンマイ出身)の政界入りは民主党。しかしタクシン元首相とは親籍関係のためタイ愛国党創立と同時に同党に入党。外相経験はインラック政権がはじめて。海外逃亡中のタクシン元首相の旅券はアピッシト政権当時、無効措置が取られた。しかしスラポン外相は旅券を再発行するなどタクシン元首相を対外的に支援している格好。インラック首相がスラポン副首相兼外相を筆頭副首相のポストに据えたのは、首相外遊中の首相代理をつとめることになり、信頼の深さがわかる。

15ヶ月間に内閣改造2回、閣外22人,新任24人
閣内融和、タクシン系列重視

インラック政権の第2次改造内閣は11月1日、国王に宣誓を終え、正式にスタートした。改造規模は12閣僚が閣外に去り、新入閣14人、留任、横滑り合わせて18人と言う大幅改造。特にこんどの改造には5年間政治活動禁止措置から解放された旧タイ愛国党役員111人のうち6人が入閣している。内閣改造の目的について、インラック首相は「適材適所」と語っているが、顔ぶれをみると必ずしもそうでもなさそうである。また、11月下旬の野党民主党による内閣不信任案に対応した改造でもなさそうである。

【閣内融和を優先か】今回の第2次改造で一般の予想に反したことと言えば、政治活動禁止を解かれたベテラン政治家で、タクシン政権を長期にわたり支えてきたチャツロン・チャイセン、スダラット・ケーユラパンらが入閣しなかったことだ。インラック内閣は昨年8月発足まもなく、閣内の不協和音で僅か5カ月後の第1次内閣改造に発展した。理由はインラク首相に代わり政権を運営していたキティラト副首相兼商業相が財政政策に深く立ち入り、中銀の独立性を巡り、中銀出身のチラチャイ財務相と激しく対立したため。結局、タクシン元首相のばら撒き政策に忠実で、タクシン並びにインラク首相の信任を得ているキティラット副首相は内閣改造で財務相兼務となり、その後のインラック政権を支えている。タクシン元首相としては実妹インラック首相の立場も考慮して閣内融和のため、あえてベテラン政治家の導入をしばし断念したものと見られる。

【報恩、タクシン、インラックの係累重視】1月の第1次、さらに11月の第2次内閣改造で閣外に出た閣僚は22人。とくに第1次改造で閣外に出た閣僚の任期は僅か5カ月余。第2次のケースも10カ月と短い。これら閣僚のポストの多くは主要閣僚ではなく、辞任閣僚22人のうち約半数が副大臣。これら閣僚の日ごろの動静が新聞紙上に出ているケースが少ない。こういった状況から見てマスコミ関係者は過去において党への功労者に報いるための名誉職として入閣しているケースが多いトみている。こいった傾向はタクシン政権当時にも見られ、内閣改造が頻繁に行われた。さらにタクシン元首相や実妹のヤオワパ派に繋がる人物。タイ貢献党の地盤の北部、東北部関係者が多いのは当然のこと。

【野党の不信任案は乗り切る自信】。今回の第2次改造の引き金となったのはタイ貢献党党首のヨンユット副首相兼内相が政治責任をとって改造前に自ら政界から身を引き、閣僚、議員さらに党首も辞任したため。これは内務副次官当時の土地にからむ不正疑惑が明るみに出たため。しかもこれが政権やタイ貢献党の存在にも影響しかねないため、早々に手をうったものと政界では見ている。インラック政権にとって最大の課題はキティラット副首相、米輸出担当のブンソン商業相関連の籾米抵当融資問題。学識経験者や政府関係機関でも、政府財政の巨額赤字を懸念する意見が多い。野党の民主党は会期末の11月下旬の下院に政府不信任案提出を予定、その矛先は米抵当融資政策の最高責任者のインラック首相に向けている。このほかタクシン元首相と士官予備校同期のスカンポン国防相も権限逸脱を理由に不信任の対象にしている。下院は与党が絶対多数をしめており、野党の足並みもみだれているため、不信任案は否決されよう。民主党はインラック首相の答弁に注目しているが、キティラット副首相や分相商業相による代理答弁も予想される。

今回の改造で閣外に出た12閣僚は次の通り。ユタサク・サシプラパ副首相、ナリニ・タウィシン首相府相、ウイルン ・テーチャパイブン副財務相、アラク・チョンラタノン エネルギー相、プーム・サラポン副商業相、チューチャート・ハンサワット副内相、スクモン。クンプルーム文化相、スチャート・タダタムロンウエート教育相、サクダ・コンペッ副教育相、ウイタヤ・プラナシリ保健相、スラウィット・コンソムッブン副保健相、ポンサット・サディワット工業相。

党首の引責辞任、籾米など課題山積のインラック政権
金融・財政経済政策のキティラット副首相に高まる批判
国防次官、副次官の更迭は政治介入か

最近のタイ政冶トピックスで今後に大きく尾を引くと見られるのはインラック政権のヨンユット・ウィチャイディット副首相兼内相がアルパインゴルフ場問題で9月末、閣僚ポストに次いで与党党首、下院議員も辞任したこと。政府の経済政策の最高責任者キティラット副首相の“善意のウソ”の弁明発言。政財界の有識者がこぞって反対している籾米担保融制度を2年目の2013年度も引き続き実施。さらに軍人政治家による軍事異動への介入、疑惑など。しかもこれらの問題の背景にタクシン元首相の影がちらついている。

▼タクシン氏のゴルフ場所有権に一役買ったのが裏目に・・・アルパインゴルフ場の敷地は檀家から寄贈をうけ寺院の所有地。しかし、売却できないため土地の所有権を宗教団体に移転。その後、チャチャイ政権当時、サノ・ティエントン内相のファミリー経営の不動産会社の所有となり、アルパインゴルフ場が開発された。同ゴルフ場がタクシン氏に売却されたのは1996年。ところが2001年2月、タイ愛国党政権がスタート後に政府の法制委員会が内務省土地局に同ゴルフ場の所有権を寺院に戻すよう指示、同局はその手続きに入ったが、当時のヨンユット内務副次官がこれにストップをかけ、現在も寺院に所有権はない。このヨンユット副次官の職権乱用が本年6月、国家汚職防止追放委員会の調べで明るみにでたため、ヨンユット氏は10月1日付けで閣僚ポストを辞任、同4日、党首、下院議員も辞任したが、これは先行き憲法裁判所による党解散に発展することを避けたためと見られる。ヨンユット氏は1966年内務省に入省、ソンクラー、トラン県などの知事を経て内務次官。誠実で謙虚なところをからタクシン元首相の親任厚く、2008年12月、憲法裁による国民の力党は解散、同月7日受け皿となったタイ貢献党党首に就任

▼タクシン元首相に敬遠された政治家?・・・2006年9月クーデタでタイ愛国党が解散させられた後、その流れを汲んでスタートした国民の力党政権に次いで民主党政権が誕生。野党となった国民の力党は2011年2月の党会議でアシット民主党政権に対する不信任案提出に当たって、記載する首相候補者としてタイトヨタ自動車で、広報を担当していたミクワン・センスワン議員(サマック政権の副首相兼商業相)を指名。ミクワン氏自身も党首をねらい、党内の経済グループなどとの結束を固めていた。これに対しこれまでに党首の座を視野に入れていたチャルーム・ユーバンルン(同内)、とくに影の支配者のタクシン元首相は不快感を強め、翌3月には党首候補の有資格者の条件として実妹のインラック女史に焦点を当てた「謙虚、誠実、思慮深い、党内での派閥に属さず、経済に明るい」などの点をあげ、その後の選挙(2011年7月)後、インラック首相に繋がった。こうした動きに対して、先を見る目の早いチャルーム氏は早々にインラック首相支持同政権の副首相兼法相に就任したが、民クワン議員はインラック政権では閣僚候補にものぼらず、貢献党内での影は薄くなっている。                                                                                 このほかタイ愛国党政権発足当時、タクシン氏と密月関係にあった旧新希望党のチャワリット・ヨンチャイ党首。その後タイ愛国党に合流、タクシン政権下で副首相兼国防相の要職に就任した。しかし2006年クーデタ前後から両者の関係は離反、その後、ソムチャイ政権で副首相に就任したがその後は顔を見られなくなった。またタクシン氏の腹心として重きをなしたネウイン・チッチョブ元副党首・元首相府相はクデータ後に党を離脱、中道主義党党首として民主党連立政権樹立に転向。それ以来、タクシン元首相派からは裏切り者として、交流を絶たれ、最近ネウイン氏は政界からの引退をは明らかにした。

▼籾米担保融資制度の波紋拡がる・・・政府のばら撒き政策である籾米担保融資制度について国家会計検査院や国家経済社会開発庁(NESDB)をはじめ国立行政大学院(NIDA)や民間のシンクタンクタイ開発調査研究所(TDRI)のほか金融財政有識者がこぞって反対している。しかし、政府は10月2日の閣議で2年目の2012年度~2013年度産米に対しても前回同様に農協銀行による担保融資制度の継続実施を決めた。価格は品種によりトン当たり1万5000バーツ~2万バーツ。生産予想3万300トンのうち2万6000トンを担保融資の対象とし。融資予算4050億バーツを予定している。この制度はタクシン政権当時実施されたが、民主党政権はこれを、コメ価格保証制度を置き換え、ジンラック政権が再度復活させたもの。NIDAなどの学者グループ等が指摘する問題点は、、①価格が市場相場を上回っており、政府による買い上げである ②農家は産米の質より収穫量の増加を狙う ③タイ米の輸出競争力低下などで、政府は巨額の財政赤字を招く、としている。ブンソン商業相は年内に170万トンを、来年は550万トンそれぞれG・Gベースで輸出の予定といているが、輸出価格等詳細は公表できないと語っている。財務省筋によると、すでに政府は2011~2012年度の1年目において各種農産品担保融資制度で3500億バーツを投入、内2600億バーツは財政局公的債務管理局が調達、残り農協銀行の調達。したがって、政府の財政負担は7550億バーツとなる。ところで、TDRIが7月末までにまとめたところによると、昨年10月以降の融資対象のコメと、この間の輸出、国内消費の総量は2270万トン、しかし国内生産は1940万トン。この差の330万トンは出所不明として政府に調査を求めている。一方、タイの特別捜査局(法務省・DSI)は一部米取扱業者の汚職疑惑を示唆している。政府の「復興と未来建設の為の戦略委員会」のウィラポーン・マラクン中銀議長も籾米担保制度の見直しを助言している。これらの反対意見に対しタクシン元首相はシンガポールでの記者会見で「農家の所得が向上すれば、国内消費が増え、輸出の減速を補う」とのべ、この制度が2~3年続けば、米市場価格も上昇するだろうと述べたと伝えている。

▼政府、輸出目標の大幅引き上げに同意・・・政府の金融財政・経済政策の最高責任者であるキティラット副首相兼財務相が堅持していた2012年の「輸出目標15%」を8月22日の経済閣僚会議で「9%」へと大幅引き下げた。タイ中央銀行や民間の経済界では早くから政府の15%達成率に疑問を抱いていた。また国家経済社開発庁(NESDB)も15%から7.3%に引き上げていた。こうした批判に対し、キティラット副首相による「景気づけの為の善意のウソ」との弁明発言。これにたいし、野党民主党などから政府の信頼性がうしなわれたとして、閣僚の辞任を要求している。キティラット副首相は証券会社数社の役員を経て、タクシン首相当時、(同首相が)持ち株を売却した時のタイ証券取引所理事長、同退任後、シナワット大学の学長に就任。このように政治歴がないため党内にわ副首相に批判的なグループもいるが、タクシン元首相や特にインラック首相の側近として信頼が厚く、一説には来年1月のバンコク知事選挙の候補者に推す向きも。

▼退役将軍の国防相が事務方のNo1,2を更迭・・・退役空軍大将スカムポン・スワナタット国防相は軍部の定期人事異動(10月1日付)を間近に控えた9月27日付けで事務方のNo1,2のサティアン・プームトンイン事務次官、チャトリー・タッティ同副次官、並びに次官室のピンパット・サリワット秘書局長を閑職に更迭。これが政治家による軍事異動に介入と新聞紙上を賑わしている。事の始まりは10月異動で退役するサティアン次官が後任にチャトリー副次官(士官予備校第14期生)の昇格を提案していたが、スカンポン国防相は陸、空、海3軍司令官がいずれも第12、13期生の為、後任には卒業年次が第11期生のタノンサック・アピラックヨーティン陸軍司令官補を推し対立していた。これに関連してサティアン次官らはインラック首相やプレム枢密院議長らに直訴。これが新聞にも報じられ、スカンポン国防相は同省内の秩序を乱したとして、サティアン次官らの更迭に踏み切った。

▼目立ったタクシン政権下の政治介入・・・サティエン次官らの上層部への直訴が公になったのはまずい。一方、スカンポン国防相の卒業年次重視も一応うなずけるが軍の人事異動では必ずしもそうでない場合も多い。スカンポン国防相はタクシン元首相と士官予備校同期生で、インラック政権で運輸相として入閣。本年Ⅰ月の内閣改造で穏健派のユタサック国防省の副首相就任に伴い、タクシンの氏の意向を受け国防相に横滑りした。こうした関係から次官人事もタクシン元首相の意向にそったものと見られている。また、今回と同じようなケースが2001年10月軍事異動でも起きている。地元紙によると、同年8月の国防会議(議長・チャワリット副首相兼国防相)で海軍大将プリチャー国防省副次官が「(自分が)次官に昇格するはずが政治介入で留任となり、後輩のサンパン陸群大将が次官に昇格した」とのべ、今後、軍事異動名簿は国防会議で審議すべきだと提案している。軍事異動絵の政治家の介入はチャチャイ政権下で1991年のスチンダー クーデタの引き金になった。またタクシン政権下のチャワリット、タマラック両国防相時代でも軍事異動への政治介入がみられた。

長引くタイ政冶危機の原点を探る
2006年クーデタを検証
「国民和解」の真意はどこに

▼ タクシン元首相派のタイ貢献党が国会に提案した憲法改正案の第3読会を目前にひかえ、同時にタクシン元首相の復権を図った国民和解法案の提出寸前、憲法裁判所から“審議待った”の声がかかった。これを受け止め、ソムサク・キアツアノン国会議長は審議を次期国会まで先送りし、政府は6月19日国会を閉会した。タクシン支持派と反タクシン派との息詰まるような政治抗争も一応収束された格好である。これまで、タクシン元首相系の歴代政党や同支持派はタイの民主政治を破壊したのは2006年9月19日の軍事クーデタによるものだと主張している。そこでまず約6年前のクーデタ前後の政治情勢をもう一度、振り替え得てみる。

▼収拾つかなかった政治混乱・・・クーデタの前年、2005年2月6日の下院選挙ではタクシン党首のタイ愛国党はそれまでの実績を看板に議席数は単独で300議席を上回り、第2次タクシン政権を発足させた。ただ、この年の中頃から反タクシン勢力の民主主義市民連合(PAD・ソンティ・リムトムクン代表)が激しい反政府集会を繰り返した。これに対し当時、タクシン首相支持の陸軍部は首相批判を続けるなら実力行使による鎮圧も辞さないと警告していた。この反政府運動の盛り上がりの背景のひとつには政府が05年9月14日の下院本会議で通信事業法改正案(外国企業の通信事業への持ち株比率をこれまでの25%から49%に引き上げ)を成立させ、同法の発効を待って翌年1月23日にタイ証券市場でシナワット一族が支配する通信事業シン コーポレイション株を、シンガポールの持ち株会社テマサク・ホールディング社に733億バーツで売却したことが明るみに出たためであるである。

▼解散選挙も違反で憲法裁は無効と断定・・・タクシン首相は国民に信を問うため2006年2月24日に下院を解散。これに対し、野党の民主、タイ国民、公衆の3政党は国会の議席数では手も足もでないため、最後の手段として選挙のボイコット戦術に出た。ここで、タイ愛国党は一部弱小政党を買収して、4月2日の選挙に立候補させる(愛国党候補一人の選挙区では、有権者の20%以上の得票がなければ当選者とならないため)と言う選挙違反を行った。(憲法裁判所は同選挙の直後無効と断定。翌2007年5月31日には憲法条項にもとづいてタイ愛国党の役員111人の5年間政治活動停止と、同政党の解散を判決)。ところで、4月2日選挙の結果は投票率64.8%、有効投票63.1%に対して、無効13.0%、白票が33.1%にも上ったので、反タクシン派は首相に辞任を要求。タクシン首相は1600万人の支持を受けているとしてこれを拒否。また地元紙は国王も選挙の合法性についての懸念を抱かれていると報道。これを受け司法3長官(最高、憲法、最高行政各裁判所)による緊急協議。また全国を取り仕切る中央選挙管理委員会は委員長を含め定員5人のうち2人欠員になるなど騒然となり、ソンティ・ブンヤラッカリン陸軍司令官によるクーデタに発展した。

▼9・19クーデタ白書・・・国家治安評議会(議長・ソンティ陸軍司令官)は2006年12月26日付で「9月19日クーデタはなぜ起きたか」に関する長文の白書を発表。そのなかで、クーデタ前後の政治情勢、汚職などがクーデタの要因だったと指摘、新政府のもとでの政治改革など詳細に述べている。これに対し、タクシン前首相は外国のメディアにクーデタと軍政に対する批判を展開している。一方のソンティ議長は一年後も「クーデタがなかったならば、政治情勢は一層悪くなっていた」と語り、軍当局の行動の正当性を再度強調している。そのソンティ将軍が退役後、昨年(2011年)5月選挙で母国党党首として政界入りし、今回、下院の和解委員会委員長に就任、タクシン系与党・タイ貢献党が推進している国民和解法案の国会への提案者となっており、有識者のや国民の間では驚きの目で今後の推移を見守っている。

▼国民和解法案の真意は・・・ソンティ案の内容は国会の要請のより、国立行政大学院(NIDA)がさらに国会での論議される事を信じて、まとめた素案そのもの。 ①反タクシン運動が始まった「2005年9月15日」から赤シャツ集団による反政府デモの「昨年2011年5月10日」(同年7月の選挙で民主党に代わるタクシン系のタイ貢献党が政権奪取)の間の政治集会での発言は違法と見なさない。またこの該当者の法的訴追、裁判中止、受刑中の者は釈放 ②クーデタ当事者が設置した機関(資産調査特別委員会)によって訴追されたものは無実とする(タクシン元首相に対する高等裁判所の実刑判決など)。③憲法裁判所による選挙違反の政党解散と役員の政治活動禁止処分の解除・など。要するに、一言でいえば、2005年9月15日~2011年5月10日までの間、「何もなかった」ということになる。つまり、反タクシン派による国際空港閉鎖、反民主党政権の赤シャツ指導者による2009年4月のパタヤ集会でASE AN首脳会議が中断、ラジャダムヌン集会、バンコク繁華街の中心ララパソーン交差点を中心とする主要道路占拠。この集会では政府の非常事態宣言で91人の死者が出たし、集会でショッピングセンター部が焼き打ち、貴金属の掠奪事件も見られた。この国民和解法案について、政府関係者はタクシン支持の赤シャツ関係者だけでなく、空港閉鎖の反タクシン派でも関係者も対象になっており、特定の人物(タクシン元首相の意味)を救済するものではないと言っている。しかし、罪の免責、訴追中止の対象者は圧倒的にタクシン支持者で占められている。

▼政界の混迷は収まるのか・・・現在のタイの政治危機は多民族国家で見られるような国民の抗争ではなく、民衆をまきこんだ与野党の政治対立に過ぎない。しかし、片方があくまで初志を貫こうとすると妥協の道はない。これまでの経過をみると、与党のタイ貢献党と赤シャツ集団は何がなんでも「タクシン元首相の復権」で突っ走っている。タイ貢献党と赤シャツ集団とはもちつもたれつの関係。党は赤シャツ集団の集票力に頼り、一方の赤シャツはすでに比例代表や閣僚として政界入りを果たしつつある。赤シャツ集団はいろんな組織の集合体。強硬派、階級闘争をに匂わす組織強化型、穏健派など。だがタクシン元首相支持では一本に繋がっているように見えるが、必ずしも一枚岩ではない。一方、タイ貢献党幹部の中にも赤シャツ集団の行動に批判的に見ている向きもある。最近、政界に復帰した旧タイ愛国党幹部がどう見ているか注目される。しかし、海外逃亡中のタクシン元首相がタイ貢献党や末妹のインラック首相の背後にいるとは誰しもそう見ており、毎回の赤シャツ集会にビデオリンクに登場。その発言が党や赤シャツ指導者の行動に強く影響し続けるものと見られる。

タイ、2011年の水害は全国規模に
実妹のジンラック女史が首相に
タクシン氏、復権に足がかり

2011年の前半は7月下院議員総選挙で与党(民主党)と野党(タイ貢献党)が入れ替わり、初の女性首相ジンラック・シナワット女史が登場して世間は沸いた。その直後に未曽有の大洪水被害が発生。それも師走には終息をむかえるや、途端に政界は親タクシン派と反タクシン派がせめぎ合い越年した。海外に逃亡中のタクシン元首相は政界の舞台裏で、相変わらず影響力を発揮発揮していた。新春に繋がる2011年の10大ニユースをピックアップすると次のようなものがある。

①   経済損失が1兆1千数百億バーツにも上る洪水被害・・・4月と11月の2度にわたって南部が豪雨と鉄砲水で冠水。ところで7月から北部で台風と一部ダムの放水で始まった洪水が南下、バンコク北部にまで達した。このため全国77県の内多少なりとも水害被害を受けた県は70県を上回り、かってない全国規模の水害被害となった。中部地区の7工業団地の838工場(うち日系441)の被害は2373億バーツといわれる。自動車、電子部品関連が大きな損害を受けホンダは水没した高級車をふくむ1055台を全部スクラップとして処理したと発表した。

②  下院総選挙で野党のタイ貢献党が政権を奪還・・・7月3日の選挙でタクシン系のタイ貢献党が与党の民主党を大差でやぶり、2年半ぶりに政権を奪還した。前回選挙で第一党だったが、連立工作に手間をとり、第二党の民主党に足をすくわれ野党に甘んじたいきさつがある。海外に逃亡中のタクシン元首相や政府与党は選挙で国民の支持を得たとしているが、地方ブロック別の獲得議席数をみると、東北部は定員の82.5%、北部は同じく73.1%獲得ている。しかし、中部、バンコクでは半数以下。南部派ゼロ。したがって、同党にとってこのちぐはぐの解消が同党指導部にとって今後の課題。

③  第28代首相にタクシン氏の妹、ジンラック女性首相誕生・・・タイ史上初の女性首相で最年少、容姿淡麗がマスコミ紙上で大きく取り上げられた。これはタクシン元首相が選挙の数カ月前から代弁者としてひそかに描いていた構想。したがって、ジンラック政権発足後はタクシン氏による海外からの表だった政治発言はほとんど影をひそめた。

④ 不敬罪の取り締まりが急ピッチ・・・昨年11月から12月にかけて不敬罪関連の裁判が相次いだ。タクシン派の反独裁民主統一戦線(赤シャツ)の支持者の女性(53)が2008年の集会で不敬的発言があったとして刑事裁判所で禁固15年判決を受けた。また「フェイスブック」に不敬的な書き込込んだ男性(51)に禁固20年の判決。また米国籍のタイ人が発禁の王室関連の本を翻訳した罪で禁固2年の刑に処せられている。またサイトの閉鎖も目立っている。こうした動向に一部活動家は不敬罪関連の刑法改正野見直しを求めている。これに対し、プラユット陸軍司令官は刑法改正を絶対認められないと強く反発している。

⑤  タイ・カンボジア国境で軍事衝突・・・民主党政権当時、両国国境のプラウィハーン遺跡を巡り紛争が起き、2月と4月には戦火をまじえ、双方に死傷者を出した。カンボジアは4月に国際司法裁判所に提訴、同裁判所は7月、両国にプラウィハーン遺跡周辺からの軍隊の撤退を命じている。カンボジアのフンセン政権はタクシン元首相を一時、経済顧問に招いたほか、赤シャツ派の国外逃亡社を多数受け入れるなどタクシン派を支持している。ジンラック首相が就任直後最初の訪問先として、カンボジアを訪問。赤シャツメンバーも同時に訪問、親善サッカー試合をおこなうなど、両国の関係は好転の兆しを見せている。

⑥  タイ中央銀行、金利政策転換・・・・タイ中銀は11月30日の金融政策委員会で政策金利を1年振りに0.25%引き下げ年3.25%とすることを決めた。中銀は2010年11月の1.1%からインフレを懸念で小刻みに金利を上げてきた。しかし未素有の大洪水と世界経済の減速化に対応するため、金利引き下げに踏み切った。

⑦  中央賃金委員会、2012年4月1日から最低賃金300バーツ実施・・・政府は選挙公約のため、政権発足と同時に、最低賃金1日300バーツ実施しようとした。しかし、経済界からのかつてない強い反対で、今年4月1日実施に繰り延べた。それによると引き上げ幅は現在最高額のプ-ケットが221バーツから35.5%高、バンコクと周辺県は215バーツから39.5%引き上げとなる。またその他地域は2013年1月1日から300バーツとなる。

⑧ 将来に付け回す膨大な財政赤字・・・政府は10月18日の閣議で歳出総額2兆3800億バーツの2012年度歳出予算案をきめ、国会に提出した。それによると当初の歳出予算規模に新たに水害対策費500億バーツが上積みされている。歳入は1兆9800億バーツ、赤字は4000億バーツに膨れ上がった。この赤字は全額借入で賄うとしている。しかし、税務当局は政府の法人税引き下げや自動車購入者に対する免税措置など大衆政で歳入予想の落ち込みを予想して、税収の増収策を検討中。

⑨ 政府、与党による憲法改正案を新春早々、国会に提出か・・・政府、連立与党は12月21日、憲法第291条(憲法改正手続きの規定)改正案を1月中にも国会に提出することに合意した。しかし、与党第一党のタイ貢献党内部では憲法起草にあたって対立している。ベテラン議員らはまず「国民投票」で賛否を問い、起草に入るべきだとする優先論。これに対し、赤シャツ派は即時起草にはいり、国民投票は起草された内容について賛否を問うべきだとしている。

⑩ 中央選挙管理委員会はチャツロン下院議員の議員資格無効と決定・・・選挙管理委員会は11月29日、政府与党の赤シャツ指導者の一人であるシャツポン。プロンパン下院議員の資格審査の結果、無効と決めた。理由は憲法規定で、投票義務を履行しなかったつぁめ、参政権はないと判断したもの。このため、選管委は国会議長をつうじ、憲法裁判所に判断をゆだねることになった。チャツロン議員は投票当日は拘置所に留置されており、保釈を申請したが却下された。

(次点 )無視できない海外逃亡中のタクシン元首相の動向

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水に親しむタイ人も驚く未曽有の大洪水

被害総額1兆1200億バーツ

しょう念場の被災者救済と災害対策

タイ地元紙が約2ケ月間にわたって第1,2面にトップあるいは順トップ扱いの写真入りで報道してきた大洪水ニユースも師走を迎え、水の流れがバンコク中心から外れる見通しとなったことから、ニュースもめっきり減ってきた。政府にとってこれからは財政規模とのみあいで被災者の救済と今後の長期的な災害対策、さらに大衆受けのする選挙公約にどう向かい合うか注目される。

「タイの洪水は年中行事」・・・・・タイでは“洪水”と“干ばつ”は年中行事。毎年どこかで起きている。タイ人の生活の中で水と関連した行事が多い。”毎、朝夕 の水浴び、タイ正月の”ソンクラーの水掛け祭り”、ロイカトーンの”灯篭流し”、結婚式で親が新婚のカップルの両手に”聖水を掛ける行事”や雨乞い行事の”ロケット祭り”など。老若男女にとって楽しい行事である。それだけに、毎年、洪水が起きても「またか・・」で済ましてしまう。ところが、今年はそういうわけにはいかなかった。それはタイの西部、北部、東北部が山岳地帯、中央部はなだらかな平地。地域によっては海抜0メートルの所も多い。そこを流れる川の中、上流には堤防も少ない。フィリピン南東で発生した台風による、例年にない豪雨と一部ダムの放水で7月から8月にかけて東北部や北部のノンカイ、ターク、ピチットの3県で洪水が始まった。水はスコタイ王朝遺跡、ピサヌロークさらに、4河川が合流し、チャオプラヤ河となる都市ナコンサワン、タイ中部のアユタヤ王朝遺跡、工業団地群を飲み込んだ。そして洪水はバンコク北方のナワナコン工業団地、ドムアン空港、西部東部にまで広がり、約6ヶ月間に及ぶ大洪水となった。(これとは別に4月と111月に南部で豪雨と鉄砲水によるさはぎが起きた)。

「工場の被害総額2373億バーツ」・・・・タイはこのような大型水害には1983年と1995年のそれぞれ上期にも見舞われている。しかし、水は2ないし4ヶ月で引いている。日本の国際事業機構派遣の専門家によると、今回の洪水地域が北部、東北部、中部にまたがる広範囲え、10月末の推計では160億トンの水が溢れており、日本では想像もつかない規模という。農協省によると全国77県のうち多少なりとも冠水しか県は68県。11月14日現在、29県が冠水していると報告している。また銀行支店の閉鎖は331(ピーク時は631)と中央銀行では語っている。災害防止・救済センター集計では12月14日現在の死者740人、行方不明3人。タイ工業連盟が推計している12月初め現在の経済損失は1兆1200億バーツ、うち工業部門の損害は7工業団地だけでも冠水による838工場(うち日系441)が2373億4000万バーツ。業種では自動車関連、電気・電子事業の被害が大きいと言われる。すでに、米系企業傘下の三洋半導体ロジャナ工場が財務的理由で修復困難と断定。工場閉鎖を決めている。同社は今年1月、米国の半導体メーカーのオン・セミコンダクター社が三洋電気から買収した三洋半導体(群馬県)のロジャナ工場。

「自然40%、人災60%」・・・・こうした大量の水は北部から流れ来るものと、地域によっては下水道から溢れ出てくるケースもある。排水ルートはバンコク並びに同郊外に無数に走る運河、チャオプラヤ河、東部のバンパコン河、西部のメコン河からそれぞれサイアム湾にいたる。今回予想外の水害被害を招いた原因としては次の点が考えられる。 ①運河の水門管理が農協省灌漑局、バンコク市、ダムの水管理は電力会社と入り組んでいる ②運河の浚渫不十分 ③北部から南下する水量の過小評価 ④7月総選挙、8月初めジーンラック内閣発足直後の災害で、閣内統一不十分で、閣僚の発言が2転3転し、ジーンラック首相自身もアユタヤの工業団地への冠水は阻止できると語っていた、など。また、早い時点で、野党の民主党、経済界それに激しい排水騒ぎのパトムタニ県知事らが「非常事態宣言」の発令を政府に要請していた。しかしジーンラック首相は与党・タイ貢献党内部の軍部に対するアレルギー等もあって、最後までこれを拒否していた。

「救済資金として201億バーツを緊急支出」・・・・政府が洪水対策に本腰を入れて乗り出したのはアユタヤ王朝遺跡や工業団地への水足がはやく、バンコク北部にも押し寄せそうになった10月を迎えてから。ドムアン空港に災害対策本部を設置したが、冠水で同空港を閉鎖、このため、よりバンコク寄りのチャツチャ近くのエネルギー省ビルに移転を余儀なくされた。こいった緊急事態もあって、政府は12月12日、特別閣議を開き、被災地や被災者救援のため201億バーツの緊急支出を決めた。これにはバンコクと62県の被災者を対象に各5000バーツの見舞金や工場操業停止に伴う約10万人の労働者の失業対策など9項目もふくまれている。このほか政府は2012年度(2011年10月~2012年9月)の当初予算案の歳出規模の2兆3300億バーツを、あらたに災害対策費500億バーツと各省割り当予算から合わせて200億バーツを捻出して計700億バーツを上乗せした2兆4000億バーツ拡大し、を来年2月の国会で成立させる予定。一方、政府は大衆受けのする政策を実施し始めており、当初予算ですでに3500億バーツの財政赤字を計上している。これとは別に、政府は長期的な治水対策の具体案作成を国家経済開発庁に指示している。その予想される所要資金5000億バーツは勅令により全額借入で賄う計画という。

「タイ人の旺盛な施しの精神・・・・未曽有の洪水被害ににほんをはじめ多くの国から救援物資や復興支援が寄せられている。日本政府は5000万円相当の緊急物資(テント、浄水器、仮説トイレ、ライフジャケットなど)のほか排水ポンプ施設、国際事業機構による他部門の専門家を派遣。一方、進出日系企業各社も東日本大震災で受けた支援の恩返しの気持ちを込めて、それぞれ最高1億円から1000万円の義捐金を拠出。別途、バンコク日本人商工会議所にも多数の企業からあわせて650万バーツが寄せられている。またタイ人も旺盛な”施しとボランティア精神”を発揮。王室をはじめ政府、軍部、企業やTvなどマスメディアも参加して寄せられた救援物資は数十万個。冠水地帯の被災者は胸まで水に浸かりながら、金ざらいを水に浮かべて受け取っていた。ただこの救援物資を巡り”政治家の名前が記入されていた”とか、”単価汚職説”も流れ、タイらしい一面をチラリとのぞかせていた。